ふと,新鮮な「俳句」の世界 [ことば]
外山滋比古さんの名前を久しぶりに聞いて,「そう言えば,高校受験のときに論説文の問題でお世話になったなぁ.けっこう良いこと言ってたなぁ」と思い,もう一度手にとってみました.
この本では延々と,俳句の「切れ字」について述べているのですが,あらためて読んで「なるほど!」と思いました.
切れ字,つまり,「や」とか「かな」は,そこで大きく間をとっている,
その「間」で作者の感動を示し,読み手が想像力を働かせる余地を残している,ということなんですね.
そう,俳句を鑑賞するときは,切れ字のところで大きく間をとるとよいのだ!
感慨を込めて切れ字をうたいあげるとよいのだ!まるで演劇のように!
ということに,気付いたのです.
つまり,「古池や~蛙(かわず)飛び込む水の音~」ではなく,
「古池や!
…
蛙(かわず)飛び込む 水の音」
と読めば,もともとの意図が汲み取れるのでは,と.
くろねこ@国語塾 さんの「俳句授業・実況中継(6)~切れ字・句切れ」
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2004/10/post_3.html
にも似たようなことが書いてあるかと思いました.
この本でもっとも感心したのは,以下の句です.
「岩鼻やここにもひとり月の客 去来」
芭蕉のお弟子さんである去来の句だそうですが,この句の解釈について,作者である去来と読み手である芭蕉の解釈が異なり,読み手の解釈のほうが優れていたとか.
なるほどね~.
俳句って奥が深いですね.
俳句も作りたくなりました.
連歌もいいですよね!
2008-01-08 16:28
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